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  • 2017.04.22 Saturday
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ariran プサン紀行  海雲台海水浴場と釜山アクアリウム

 海雲台は釜山切ってのリゾートビーチである。ここはハワイの雰囲気があり海水はきれいで沢山の人が訪れる。海岸は約2キロ程続いている。釜山の豊かな部分である。

この中央部に釜山水族館「アクアリウム」がある。
結構人気でこの時期でも若い人が沢山訪れている。憩いの場でもある。
大阪に海遊館が20年前に出来ているがそれよりはやや規模が小さいようだ。

ビーチと水族館の町である。
海岸が奇麗なのが印象に残った。

海雲台は人気の地で、この辺りは土地値が上昇し今や一番の高級住宅街という。

ここの他、釜山にはリゾートビーチが4つあり計画的に開発されている。




海雲台ビーチ 海岸と水が奇麗で夏場は大賑わい。


水族館


光るクラゲ



ビーチ近くにケンタッキーがありました。
味は日本より美味しかった。

ariran プサン紀行  忠烈祠

 忠烈祠を訪ねたがその説明内容は、次の通り。
*台湾の忠烈祠は警備の軍人が瞬きもせず直立不動でしたが、ここは傍の詰め所に2人
  いるだけでした。

忠烈祠は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)時に侵入倭軍を迎え、壮烈に戦死した釜山地方の護国烈士の英霊を祀っている聖域です。

壬辰倭乱とは日本を武力統一した豊臣秀吉が余勢をかって政権安定、領土拡張を図った侵略戦争でした。
朝鮮は隣国情勢に疎く、防備態勢も未備でした。
倭軍は「種子島」という当時の最新武器を手にして潮のように侵入してきました。
衆寡敵せずとはいえ、毅然たる気がいで戦い壮烈な最期を遂げました。

この祠は1605年東菜府使尹暄によって宋公祠が建てられた。・・・・。
1652年に忠烈祠を現在の位置に移し、烈士の忠節と学問を後世に伝えるため講堂、東西斎を建立、安楽書院と名付けて祠と書院の両機能を具備しました。・・・

現在は93,823平方メートルの境内に本殿の他15棟の堂宇があり、釜山地方で戦死した93柱の位牌を奉安し、毎年5月25日に行われる祭祠には多くの市民が厳粛に参拝しています・・・・。




中に真白い3束の菊の備え花が飾られていました。


訪問者が記名・署名します。国籍・住所・名前
今年になって800人余の訪問者が記名していたがその中で日本人3名の署名が
見られました。



展示館の中には日本軍が攻め込んでいる状況の絵画が7〜8枚展示されていた。
これも忘れるな、繰り返すな、という事だろう。

韓国語の説明はあったが日本語訳は無かった。
壮絶な絵画だけに日本に遠慮があるのだろうか。


中に売店がありました。
正式なレストランでなく、訪問者はお湯を注いでラーメンを食べていました。
それでラーメンに卵を入れてもらい料理してもらいました。

結構美味しかったですね。
それにしても皆ラーメンが好きです。日本のラーメンとほぼ同じ味でした。
気さくに話が弾みました。

(了)


ariran プサン紀行 ─ 巍雉寺」(ボモサ)を訪ねた。

 地下鉄「梵魚寺」で降りて釜山大学に立寄った後にバスで「梵魚寺」(ボモサ)を訪ねた。

この寺は1,330年前、新羅文武王の時、義湘大師が創建した華厳寺である。壬辰倭乱(朝鮮出兵)と旧韓末の時、沢山の僧侶たちが国家に危機がある度に、この寺を拠点として救国活動を行った護国の道場であり、禅刹の大本山である。

偶然にこの寺の住職と知合い、日本語で色々と話を聞く事が出来た。
住職は日本には大阪の四天王寺に良く来られ、「釜山人と大阪人は非常によく似ている」と話していました。日本の事を色々と良く知っていた。

非常に気さくな住職であった。
そしてこの寺もまた、豊臣秀吉によってその殆どが焼き尽くされ、そして修復されたという。

因みに韓国では仏教信者が多く、2,000万人位いて信者は皆熱心で寺の法要等行事には参加するという。
また金を、金がないものは米をお布施として持参するという。韓国での仏教が国民生活に根付いていることを話してくれた。

寺は山あいに広がる広大な敷地内にあり、本殿(大雄殿)はじめ地蔵殿、観音殿、弥勒殿、西持殿、僧侶大学(100名が修業中)・・・等からなりその規模たるや釜山最大であるという。





ここが寺の中央・中心 大雄殿



大雄殿の中




見ず、云わず、聞かずの仏像がありました。


寺の全景

さて、日本では昨日からの地震・津波で死者も増加し大変なことになっています。
宮城の友人宅は家屋の被害があり、水が確保できないとのことで避難所に詰めているとのことでした。アメリカ、韓国、中国、ロシア、イギリス等から支援の電報等が届いています。
今も緊急地震速報が出ています。まだまだ継続しています。
外出等特に注意が必要です。

(了)

ariran 釜山紀行 А〃捗の世界遺産を訪ねる。

慶州は史上初めて朝鮮半島を統一した新羅の町として栄えた。その為世界遺産が集中している。訪ねて見ることにした。

釜山から鉄道で2時間で到着する、日帰りでいける近い場所である。
前日に駅で往復(座席)指定チケット(1000円位と安い)を入手した。

当日は30分前には到着し、駅員に聞きながらスムーズに乗り込むことができた。座席は空いていて座り心地は良い。
各駅停車はのんびりする。車窓から見る外の風景は田舎の日本の風景である。瓦屋根も見える。
時間を忘れて外をながめた。
慶州駅には午前11時過ぎに到着した。

駅前の観光インフォーメーションセンターを訪ね、世界遺産の石窟庵、仏国寺への行き方を訪ねた。日本語をしゃべるスタッフが丁寧にバスでの行き方を教えてくれた。

行き方を聞いて外に出たところで40歳位の男が近づいてきて「タクシーで行かないか、安いよ」と勧誘である。

観光センターの前で待機し客をとる。。なかなかそつがない。
手際が良すぎると思いながら金額も安いこと、人も良さそうなので利用することにした。
石窟庵に向かう道は桜並木がずっと続いている。桜が咲いたら素晴らしいだろうなと思いながら走った。
(後で聞いたが、ここで桜の時期に慶州マラソンがあり日本からの参加者も多いという)

先ず世界遺産・石窟庵である。山間部にあり、入口に車を止め、そこから約20分間山道を歩いていく。道路の両側には赤・黄・青等の提灯が並んでいる。寒い時期で山あいには雪が積り、残り雪が見える。参拝者は少ない。寒いのが原因か。
それでも車椅子の人を見かけた。


<正面中央に仏像安置>

石窟庵は古く豊臣秀吉軍の襲撃により破壊され、その後修復工事をしているという。その為仏像は大事に保管され、奥の部屋に置かれて近寄れないようになっている。

その奥の中で5〜6人の僧侶が立って両手を合わせ、座って両手を合わせ深く祈っている。それをずっとずっと繰り返している。写真は一切禁止である。

仏像のお姿は神々しいばかりに輝いていた。大きく息を吸い込むように民衆を見つめる、慈悲に満ちた眼差しは実に美しい。こんな素晴らしい仏像に巡り合えたことは幸せである。



売店に立寄った際に店主にその旨を伝えると「そんな見方もあるのですね」という。色んな見方があるのである。


この後、世界遺産・仏国寺を訪ねた。ここは新羅王朝の栄華を誇り、韓国最大の仏教建築である。
ここも1592年文禄・慶長の役で豊臣秀吉による日本軍の猛攻に遭い、大雄殿等歴史的文化財をことごとく焼き払われたという。

ま〜本当に無茶をしたもので、どのような事情があったのか理解できないことである。
(インドのアジャンタの石仏がことごとく破壊されたのを見たことがあるが原因は侵入してきた回教徒だという話だった)



正面の不動明王像



中の池は厚い氷が張っていて、寒々していた。


仏国寺 入口正面風景





ariran 釜山紀行 Αヽ山の地下鉄電車でお酒の宣伝

 釜山の地下鉄は便利で料金も安い。
近距離はW1100(80円位)、遠くてもW1300(100円位)である。
路線としては3つある。(1号、2号、3号)

慣れるとこんな有難いものはない。(タクシーもここでは安いが)
キップを買うには韓国語、中国語、英語、日本語と4ヵ国語の案内がある。
国の言語を押して、更に行き先を押す。示された金額を入れるとキップが出てくる。

その切符を改札に入れて入場する。改札には係員はいない。無人である。
目的地に付いたらキップを入れて改札から出てくる。勿論無人である。

何か困った時には赤い非常ボタンがあるのでそれを押せばいい。
日本より進んでいるようだ。

やや不満なのは日本と椅子の配置等は一緒であるが、クッションが余りなく座り心地が悪い。
それだけである。

地下鉄内で珍しい販売・売込宣伝に遭遇した。

電車に乗って座っていると急に途中から電車に乗り込み、通路に商品を置いてから演説調で宣伝し始めた。つまり、これいりませんか、というわけである。
乗客はじっとそれを見て聞いている。

次は急に乗り込んできてから商品を乗客に配るわけである。(無料で配布するわけではない)
その後、商品の説明である。乗客は配られた商品を手にそれを見ている。
一通り説明した後に買うものがなければ直ぐに回収するのである。

一番びっくりしたのは「ジュンロ」という酒の宣伝である。
これには脱帽である。

金曜日の午後6時30分頃の乗客の多い時間帯である。
ジュンロの大きな酒の瓶のかぶりものをした人物が現れた。おやおや・・しかも2瓶いる。
かぶりものの瓶は目が大きくまん丸で愛嬌があり、手はだらりと垂れ下がっている。
ただじっと立っている。周りのものも分かっていてただじっとしている。しかし心の中ではニヤニヤしている。

しかし、それをじっと見ていると横にいるものがみんなに見えるように紙を広げている。
時間がたつにつれどうも宣伝しているようである。

電車が大きい駅に付いた。2人のジンロの瓶が降りていく。ところがそれに連れられて(宣伝の)紙を持った人が一緒に次々と降りて行った。

何と2人のジンロビンを被ったものを中心に20人位の宣伝の紙を持ったものが整列し、規律正しく帰っていった。こんな宣伝があるのか・・・とうなってしまった。

金曜日の夕方(明日は土曜日)どうしてかジンロが飲みたくなった。はい!!
恥も外聞もないと思っては見たが、良く考えたものだと感心するのである。




後ろの人達(紙持参)が宣伝グループ

ariran プサン紀行 ぁヾ禧世人気 早速作った。

 韓国の眼鏡が良い。人づてに買い得と聞いていたので買う予定にしていた。
それで家内の分もと思い、彼女の眼鏡も携帯して来た。(仕事をしていて一緒に旅行できない)

国際市場地域は大規模な商店街となっている。レストラン街もあり、衣類はじめあらゆる商品が所狭しと置かれ、それがどこまでも続き、広がっている。とにかく広いのである。

眼鏡をかけるジェスチャーをしながら訪ねてようやく一軒のメガネ屋に到着した。後で調べると周辺には結構ある。
店の前に日本語で10分で作れますと看板が置かれている。
日本人客を相手にしているのであろう。
 
早速入って質問した。
責任者らしい女性が日本語で色々と説明してくれる。相当馴れていて愛嬌よく応対する。
片山さつき議員似の美人で眼鏡の似会う女性である。彼女が掛けるとなかなか映える。
眼鏡の印象が一気に良くなった気がした。

7人位いるスタッフはみんな日本語を勉強し、しゃべれるようである。
とにかく日本人を呼び込みたいようである。

値段はフレーム次題という事のようである。それも10分あれば持ち帰れるということ。
持ち込んだ家内の眼鏡の度を直ぐにチェックし指定したフレームで作ってくれた。
私のも度を測り、家内の分を含め2つ作って1万円支払った。

更に、遠近両用も如何ですか?ときた。1万円でできるという。
(今考えると買っても良かったかなと思っている)
その後も営業上手でサービスも良い。
レモン入りの美味しい甘いお茶を出してくれた。中々凝っている。

美味しかったので思わず、美味しいですね、というと「どうぞ、いつでもお茶を飲みに来て下さい。待っています」という。サービス精神旺盛この上ない。

とにかくこの眼鏡には満足している。
眼鏡は日本より安いし、それも10分で出来るとは技術も日本以上かもしれないと感じた。
そんなこんなで日本人旅行者に人気があるのであろうか。


フレームは厚みがあり頑丈

ariran プサン紀行  チャガルチ 魚市場の風景

 チャガルチ周辺は日本が支配していた頃、日本人が沢山住んでいたところである。
プサン港に面し漁業が盛んで、現在はここに魚船から水揚げされた海産物や魚を各地に出荷し、またこの市場で販売している。

朝の11時頃、魚市場を見て回っていると日本語で声をかけられる。
「サシミ、サシミ」と新鮮な刺身を食べて行けというわけである。魚を陳列した奥にテーブル椅子があり、そこがレストランになっていて客を呼び込んでいる。

こちらの人は冷かしは効かない。売るのに真剣である。買うか買わないか、こちらの目を凝視し迫ってくる。その気がなければ関らない方が良さそうである。

この近くに日本が建てた学校があって、現在70歳以上の人はそこに通っていて日本語を勉強したと聞いた。そんな人達がまだまだいる。
確かにそんな雰囲気の懐かしい感じの市場である。

この市場の裏には漁船が停泊している。
色んな魚の他、昆布が良く取れるようである。大きく長いものが店頭に並んでいる。

露店で販売している元気な女性たちを見て佐賀「呼子」の朝市を思い出した。

夫婦で朝から仕事をしているのだろう。ご飯を2つ山盛り茶碗に注いでスープとキムチを前にして旦那の来るのを待っている女性がいる。
朝早くから働いてお腹がすいてたまらないのであろう。しかし夫が来ないので我慢をしている。
良い光景である。
実は何とかこの茶碗一杯のご飯を食べる瞬間を写真に撮りたかったのだが・・・残念。

また横では猟師仲間がコイン投げの博打をやっていた。3メートル先の横線に近い所に投げるというもので一番近いものが他のコインを手に入れる。
しばし見とれてしまった。
釜山あさの浜の風景である。




400メートル位続きます。


この魚は何と言う魚ですか?ナマズみたいな感じです。


ホヤ  沢山並んでいてここでは良く取れるようです。


漁船の係留


街では軍人さんが恋人と会っている姿を時々みかける。
通る人は誰も気にしていないようだ。
軍服でデート。微笑ましい限りで、ちょっとも違和感を感じさせない。
勿論、誰も間に入って邪魔は出来ないのである。
(了)


ariran プサン紀行 ◆.廛汽鹽着と町の様子

 日本からプサン行きは2月27日air busan 福岡空港11痔20分発であった。
ネットを使って時間表をチェックし、王寺駅まで娘と家内に車で送ってもらった。
そして新大阪〜福岡まで新幹線を利用した。

さて、福岡からプサンまで40分である。飛行時間は35分と本当に近い。
ジュースを一杯サービスされている内の到着した。

プサン空港について入管等入国手続きは極めてスムーズであった。
30分ほどで宿泊先のariran hotelに到着した。
値段の割には部屋は豪華であった。土間があって14畳位の絨毯の部屋に大きなベッドがある。勿論広いバス、トイレ付である。
これで1人4000円足らずである。

(結局、プサン駅の真横で便利・快適だったので7日間ここでお世話になった。後半は色々と気配りしてくれるので日本からのお土産を渡した。その上で交渉したところ3000円にしてくれた。・・・ここだけの話)

早速、食事の為に外に出る。
真前は商店街で中国人街・ロシア人街と続いている。

柄の良くない地域で夜間はその辺は歩かないようにホテル担当者から注意を受けた。
ロシア人の船員等がいること、またトラブル等が起きるので行かない方が良いということだった。

確かに昼間は別として、夜間は通りをうろうろし、道をふさぐようにして何か話している。それがずっとあちこちで展開している。その合間を縫ってロシア女性が足早に行き来する。
ロシア人は1人でいると人懐こく温厚であるが集団では人が変わる、と聞いたことがあるが気をつけることにした。

雰囲気的に明らかにおかしい。警察署が近くにあるが私服警官と思われる者が車を止めて中から様子を見ている感じである。
薬、売春・・何があってもおかしくない。
警察も手を焼いているのかも知れない。

この辺は柄は悪いが全体的にはビルが立ち並び大きな街である。中華料理店、韓国料理店、日本料理風の韓国料理店、寿司屋、うどん屋と食べ物は安くて豊富である。

焼き肉は美味しいがそればかり食べる訳にはいかない。体調を壊してしまいそうである。
韓国料理を注文するとキムチが沢山ついてくる。
キムチは美味しいし体に良いと思う。野菜が沢山ついてくるし、トウガラシも食べると体に刺激を与えてパワーが増しそうである。キムチは韓国人のパワーの源である。

近所で何でも揃う便利な場所であった。
パン屋に行っても、お菓子屋に行っても日本の味と同じである。
よくもまあ、こんなにも日本の味を研究したものだと思う。

韓国は日本の先端技術だけでなくパンやお菓子をはじめ何もかも日本を取り入れている。
殆ど日本に並び、その内日本以上のものを作ることになろうと思ったものである。


この部屋で7泊しました。


近くの歓楽街 ロシア通・中国通


こちらのパン 日本と味も同じです。


夜はすき焼きを食べました。1000円でしたか。ちょっと豪華に。

ariran プサン紀行  .廛汽鵑ら帰国しました。

 3月6日にプサンから帰国しました。(7泊8日)
元気に無事に日本に着きました。不慣れな国であり不安に思っていただけにホッとしているところです。

プサンに行けて良かったと思います。日本人として学ぶことが多かった。
地図で見ると日本と韓国は非常に近い隣国です。隣国というより隣町と言った方がぴたりと来ると思います。

日本と非常によく似たところが多いですね。

当初はプサンに3日ほどいて後はソウル等にも行きたいと思っていましたがやめました。
というのはプサンには沢山の中身が詰まっていて時間をかけて見るべきと思いました。

結果はそれが良かったとおもいます。
町はダイナミックプサンの掛け声でげん気があります。活気があります。
2020年にプサンオリンピック開催を目指しています。

この1年で外国人居住は1200人増えて32,000人になったという記事が踊っていました。
(赤字は訂正しました)
新聞の記事を見ても元気が良く、日本は既に視野に入っていないような印象もあって日本頑張れ!と思わず声をあげたくなりました。

しかし、何よりも衝撃だったのはプサン歴史博物館の訪問でした。
展示されている殆どは日本の進出と侵略で埋め尽くされていました。
写真、新聞記事等が添付され、韓国語、英語、中国語、日本語で翻訳されていました。

これでは日韓友好はほど遠いものだという印象を持ちました。
この歴史を忘れず、末代まで残し、再びこのようなことのないよう、絶対に風化させてはならないという執念がにじんでいました。

韓国人の見る日本観、日本人の見る韓国が余りに違うという印象でした。
私はこれは韓国側の受け止め方で日本の実態はどうだったかという疑問は無いわけではありませんが事実かなという気がいたします。
というのは特に日本がこの問題抗議をしたというような事もなさそうだし、そのまま歴史館内に展示されているという事実です。

日本の食べものは沢山ありました。刺身もスシも人気で美味しい。
焼き肉も美味しいし、楽しい。

それにしても日本語、英語が通じず困りました。
大体親切だと思いましたが、逆に感じたことも多々ありました。

慣れてきて地下鉄に乗ってあちこち行くようになり有意義な時間を過ごすことができました。
物価も安いですね。食べ物は日本の価格の70%位と安かった。

ともあれ、これから印象に残った事をアップしていきたいと思います。





日本人街への移住が始まる。



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