マレーシアをみて若さが蘇った。来て良かった。

1  10日間のマレーシア訪問で色んなところを見てまた話を聞いて実
  り多い旅となった。自分が若返った気がした。


〇 多民族国家はマレーシアは豊かな大地、自然、資源、安定した政
  治、経済、治安に世界がトップ企業等が注目し投資している。順調で
  ある。 
  マレー人主導の政策が一部反対はあるものの実を結びつつある。

〇 温暖な気候と自然に加え比較的自由な宗教は多くの観光客を呼
  び込んでおり外貨獲得にも大きく貢献している。英語が通じるという
  利便さも人気の一つであろう。

〇 マレー系の優遇策は中国系、インド系には不満はあろうがかの
  ハンデキャップが国の活力を刺激し経済を押し上げている。見事な
  政府のかじ取りともいえよう。

〇 一方で、戦争の傷跡は残さず、ルックイースト政策に見られるよ
  うに、常に前向きに進む姿には世界中が好感をもっているのでは
  ないかと思う。
  
〇 ロングステイに関してはこの国はまさに先進国の仲間入りを果た
  そうとする一歩手前で快適である。その面でやや物価的に高いの
  は仕方ない。
  一概には言えないがチェンマイに比べると2割以上は高いような
  気がする。
  しかし、英語が通じること、街がきれいなこと、治安が安定
 していること等トータルで見ると最も魅力的な地といえようかと思う。

〇 地元の方から聞いた話で私の年齢63歳と云うのは若い、若い、
   と云われた。ここでは88歳の方が商売で飛び回っているという。
自ら足を運び申し込んでボランティアをしている人もいるそうである。
  この地で人は生きるエネルギーが湧いてくるようである。
 
  浜辺夫妻も衰えを知らない体力と気力を持っておられた。
  
2 若さを保つためにこれからやらなければならな
    いこと。


〇 浜辺さん夫人は私が「コナミで泳いで体を鍛えている。週3回
  30分歩いて300メートル泳いでいる」と云うと、少しづつ泳ぐ距離
  を伸ばしたらどうかという。
    私は年を気にして体に悪いのではないかと云うとそんなことは全
  くないとアドバイスしてくれた。

〇 彼女のアドバイスがあって私は現在、600メートルの泳ぎ、40
  分間の水中歩行をしているが泳ぐ方は500メートルいけばあとは
  いくらでもいける感じである。
 それに運動量が1時間を超すと腹が凹み徐々にスリムになって
  きた(?)。

〇 今パソコンでホームページの作り方をやっているが基本の無い
    ものには色々と困難が伴う。難しく大変である。しかしこれは馴れ
    るしかない、と云うことで毎日毎日パソコン画面に向かっている
  ところである。

〇 やわらか頭を持つことが益々大事である。ブログを書くことに
  よって少しづつ文章をまとめることが苦にならなくなってきた。

  馴れてきたと言えようか。しかしこれも頭の若返りのための戦
  いでもある。色々と困難はあるが不退転の気持ちでやっていく
  しかない。
  今までパソコンを避けてきた分今苦しんでいるのだからと。

〇 パソコンを習い、水泳をして、ブログを書く、そして旅行をする。
  それから、情報を集める。

   そして常に新しいことに目を向けていく。
 楽ではないがこれをリズムとして日課としてやっていく。
 退職者の生き方を示したいと思う。

 マレーシア旅行記はこれで終わります。
   
(了)


帰国へ、飛行機が来ない、ペナン空港でハプニング発生

 10日間のマレーシアの滞在を終え帰国の途に就く。
ホテル前のインド料理(ジャヤジャヤ)の店で簡単な昼食のインド料理
を食べコーヒーを飲む。やることは大体終わった。

 これでいつ帰っても良い、と云う気持ちで店の前を行きかう人々を
ずっと眺めていた。客待ちのタクシー運転手とはすっかり友達になっ
て冗談を言い合う。
 
 彼らはインテリなものが多いし、結構日本のことを知っていた。色々
と聞いたものである。この町に慣れてきて帰国が寂しい感じになる。
さらば、ペナンの町よ、マレーシアよと。再びこの町に くることがある
だろうかと思った。

 この町に別れ、そしてまた新しい日本での生活が待っている。

〇 夕方、浜辺夫人が車(インド系マギンさん)でペナン空港まで送っ
 てくれる。通関手続きもマギンさんが段取り良くやってくれるので何
 もすることがなかった。
  
〇 浜辺夫人にも大変にお世話になった。何から何まで。彼女も浜辺
 さんを精一杯支え頑張っている。本来は水泳の先生であるがここで
 は柔道の先生であった。
    生徒は皆浜辺夫人のことを「先生」と呼んでいた。

〇 通関手続きを終え出発ゲートに向かった。日本への土産の買い
  物を見て回り、午後9時45分ペナン発のクアラルンプール行きを
  待つ。(クアラルンプール発関空行きは午後11時55分発で1時間
  10分の乗換時間で内心スムーズにいけるか心配もあった)

〇 ところが出発の30分前になっても出発便の案内さえない。
 出発便が案内ボードから消えている。これは何かあったと直感して
 マレーシア航空のカウンターにいる担当者に聞く。すると「自分も
  何があったか分からない」とのこと。

  搭乗予定者が5〜60人いただろうか、皆もそわそわしている。
  中には搭乗を取りやめて帰る者も出てきた。
  「遅くなればクアラルンプールのホテルに泊まり、JALで帰ること
  になるのではないか」との話も聞こえてくる。しかし、飛行機の情報
  は全くないままであった。

〇 私もついに頭にきた。カウンターにいる責任者と思われるものに
  「どうなっているか、現状をどうしてみんなに広報しないのか」と
  声を荒げて迫った。「すると私も分からない。連絡しているところだ。
 あなたが云うと連絡できないではないか」と。

〇 暫くして広報のアナウンスが流れた。予定の飛行便は遅れてい
  るがこちらに向かっていると云う。
 担当者は私の方に来て「今のアナウンス聞いたか?」と

〇 そのまま椅子に座っていたがいつの間にか2人の勲章を付けた
  軍と警察の幹部と思われるものが立っていた。騒動になるのを警
  戒したのであろうか。

〇 便は1時間遅れで出発、クアラルンプールは乗換で忙しかった。
 多くの日本への搭乗者は乗換で空港内を走りに走った。

〇 乗換便はちゃんと待っていてくれて約40分遅れでクアラルン
  プール出発、そして関空にはきっちり当初の予定通り午前7時
  到着した。
  予定があったので少しあわてたがこのようなことは良くあるので
 あろう。
  同じMH便だったのでスムーズに云ったのであろうか。

  こうして、無事に日本に到着した。はいっ。

(了)

 


ペナンの日本人会共同墓地を訪問した。

 1 ペナン博物館を訪問
    ここはひっそりとして訪問者は少なかった。
    ペナン島に関係ある諸民族や歴史、文化を展示している。
    その中の小さな一角に第2次大戦中の日本軍の統冶を受けた
    時代の記録が数枚の写真と共に掲載されていた。

2  日本人会共同墓地
   ホテル前に停まって客待ち中のタクシー運転手に「日本人の墓が
    ある」と聞き、早速案内してもらった。こちらのタクシー運転手は日
    本人の関心のあるところを良く知っている。
  
   案内してもらったのはペナン市内ジャランラムリー通りにあっ
    た。入口は鍵がかけられ自由に出入りできないようになってい
    て「日本人会共同墓地」と書かれていた。縦40メートル、横25
    メートル位の敷地に軍人等の氏名の記載された石碑が約70
    見られた。

   聞くところによると日本人の墓はあちこちにあって日本軍人と、
    一 部、明治、大正年間に日本から出稼ぎ同然で船に乗ってペ
    ナンまでやってきた「からゆきさん」の墓が混じっているという。

   この地で商売をやっていた日本人会等の日本人が共同墓地
    にして祀っているという。

  日本はこの地で戦争をしたこと、その爪痕が全くなくなったとは
  言えないと思う。ペナンとクアラルンプール博物館にそれぞれ展
  示されているように。
 
    これはマレーシアの人々にとって忘れることのできない、忘れ
  てはならない出来事であろう。
  
  日本人に人気のあるペナンであるが私たちはこのような事実
 があった ということを忘れてはなるまい。







(了)

ペナンの人力車 「トライショー」

 ペナンには快適な人力車(トライショー)がある。
大きなホテルの傍にはタクシーと同数のトライショーが客待ちしている。
市内見物には小回りが利いて値段(貸切で1時間約30R)も安くて楽しい。

自転車の前方に座席シート(2〜3人乗り)があり、それを後ろから自転車で押すようにして漕いで行く。乗客の頭部には日よけの傘がついている。
車体の左側には国旗が、右側にはかざぐるまを付けて走行速度を示すようにくるくる回る。



インドには同種で「リキシャー」があったが、これは自転車をこぐ者が前で客は後ろの座席に乗って走行する。
それに比べるとこちらの方がお客様第一を感じるが、事故があればお客がまず犠牲になると云う気にもなる。

  このトライショーが車の中を縫うように移動して走行していくのを見ると、事故にあわないか怖い感じがする。ところがである。このトライショーは車が信号待ちしている間を縫って前に移動する。

 それだけではない。そのまま赤信号を突き切って右へ左へと最短で目的地に移動していく。普通であれば明らかに信号無視である。(人力なので違反にならないのであろうか)

 見ていて危険な感じがするが、実際に乗ってみると安全で思ったより怖い感じがない。走行していると他の車が道を譲ってくれる感じである。この国は弱いものに優しいのであろう。

 トライショーの中には車体のあちこちが凹んでいるものもあって心配もないことはない。

 客は前に座って視界は良好だし、左右を見ながら自由に写真も撮れる。
クーラーはついていないが自然の風を切って進んでいくのは快適そのもので王様気分になれる。

 このトライショーはCO2削減にも大いに役立っており、今後ともペナンの街を我が者顔で走行していくことであろう。

(了)



ペナンでタイ人、中国系マレーシア人とサウナで語ったこと(ロングステイ)


 11月29日午後ホテルのプールで泳いだ後、サウナに入った。中には中国系人物、タイ人の2人がサウナ室で汗を流していた。汗をかきかき声をかけた。

〇 中国系人物(年齢46歳、マラッカでビジネス)
 
 <多民族の国であるが皆仲良くやっているのですかと質問した>
 ・  フレンドリーですよ。しかし、(と云って次の通り話した)
 ・  ここでは私たちは子供は1人か、2人までです。でないと金がかかって
   しょうがない。それで自分らで抑制している。
     * マレー人優遇政策について不満を述べたいのであろうか。
       (マレー系は18歳まで授業料は無料等)   
 
 ・  一方、マレー人は子供をたくさん生んでいる。国の補助があるから経済
   的な負担は少ない。

   学校入学にも枠があって中々入れず、優秀ではあっても他国に留学しな
   ければならない。アメリカは高いので安いオーストラリア等に行く。
 
 ・  しかし、マレーシアは良いところである。この国が好きである。平和で地
   震も台風もない。問題は汚職だけだ。(笑いながら)

 ・  ロングステイするにはペナンもいいがそれよりもイポーが良い。物価も
    安いし、このペナンにあるものは何でもある。

 ・  しかし私はタイに行くがタイは物価も安いし、バンコクなどは申し分ない。
  
〇 タイ人(年齢63歳、職業不詳)
    タイは政治的にはタクシンで色々あるが物価も上がってきている。
   チェンマイについても物価が上がっていて住みにくいと聞いている。

 <それでもタイが良いという話になった。中国系曰く>
   タイは何の規制もない、本当に自由な国である。
   要はロングステイで何を求めるかでしょうと。
   (ここで笑ってお開き、皆サウナをでる。)
 
さて、中国系の人たちもこの国は好きだけど、色々と悩みもあるのである。
今時のロングステイは都心部より田舎の方が人気なのかもしれない。

(了)

<ペナンヒルから見た景色>

 
<足裏ツボ>




ペナンで第25回中国招待バスケット大会開催にふれて

 11月27日〜29日とペナンにおいて「第25回中国招待バスケットボール大会」が開催された。私の宿泊するシチテルホテルには沢山の競技参加関係者が宿泊していました。人のよさそうな幹部みたいな人がロビーにずっと座っていて話をしました。

 これは中国が招待したマレーシア、タイ、インドネシア、台湾、オランダ、オーストラリア、カナダ、シンガポール等11カ国が参加した。(中国は各地から沢山のチームが参加)

 ホテルは連日大男がロビーをウロウロしていて賑やかだった。事前の噂では中国が圧倒的に強いといわれていて結果はまさにその通りで勝ち負けは度外視しているような感じ。

 その中で中国と台湾の試合で判定を巡って相当熱戦を繰り広げたとの話が伝わってきた。

 閉会式と懇親パーティがシティーホールとその前の公園で大々的に行われ中国の獅子舞、音楽隊、鼓笛隊が式典を盛り上げていました。

 この式典にはマレーシア全国から政府関係者、ビジネスマン等が招集され交流を行った。
 中国の力の入れようが伺われました。

 日本だったら事業仕分けでカットでしょうね。それどころではなく連蓬さん認めてくれないと思う。
 

 (了)












ペナンのロングステイ事情 (ペナンで聞いた話)


〇 ペナンには日本人は約2,000人、
  企業関係者が1600人。ソニー、シャープ、パナソニック、サンヨー等の
  メーカーと中小企業が多く来ている。

  その内約400人がロングステイヤーで毎年10%と増加傾向にある。
  治安的には問題ないが、中にはひったくりや侵入盗等の被害にあったと
  いう話を聞いたこともある。

〇 マレーシア政府はロングステイを受入れ今は奨励している。この国は
  3カ月はビザなしで入国できる。マレーシアの銀行に一定の預金があれば
  1回取れば10年間いけるビザもある。
   
   この国ではロングステイが始まってまだ5〜6年しか経ってない。
  これまでの所、問題となるような事は起こっていないと思う。

   こちらには早期退職者もきていて皆こちらの生活を満喫していると思う。
  言葉はしゃべれなくてもやっている。中には英語を勉強している者もいる。

   気候は年中25〜33度、今雨季が終わりこれから乾季、クーラーがい
  るようになる。  
   この国はゴルフができれば最高である。
   住まいは問題ない。家賃は100へーベーのコンドミニアム、中心の良い
  地区では月に10万円、ちょっと遠くになると6〜7万位のところもある。
   
      それに、ここではロングステイではなく1カ月、3カ月のショウトステイも
   さして金額の負担なく可能であるとのこと。コンドミニアムもショートステ
   イ用があるので心配無用とのこと。

   北海道から冬の寒い時期にショートステイで来る人があるようであるが、
   私は是非そうしたいと思う。

   最近は家賃が高くなって高級地区から安い地区に引っ越しする者がい
  ると聞いている。したがって生活は年金だけではどうかと思う。
  
  月に25〜30万円必要。勿論屋台等の現地の食べ物であれば金はかか
  らないがちょっと日本レストラン等贅沢をしょうと思えば金は必要になる。

〇 医療は高い。国立等の公共の病院は安いが日本語が通じない。
   私立病院に行けば直ぐに1〜2万円かかる。調子が悪い、しかし回復し
  ないという場合は日本に帰って治療した方が良い。

  ましてや治療のために帰国する時は飛行機代等金がかかる。座席シート
  を6つや8つを独占する必要があったりする。
  
  (現金が必要かと質問)海外旅行保険の中にキャッシュレスサービスが
  あるのでそういうのを利用すれば便利。

〇 日本人に対する意識は悪くは無い。
  中華系家族は日本企業で働いている者も多い。若い中国華僑は日本技
  術への憧れがある。ルックイースト政策の影響もある。
  
   こちらの中国人は親日で本国とはまた違う。日本からブラジルやカル
  フォルニアに移民した日本人の感覚と同じで昔の人間関係を大切にする。
   信頼できるとなるとあっという間に広がる。そうなるといろんなところで
  人間関係が生まれる。

  全体として皆親日感情を持っていて問題は無い。
  今後もロングステイヤーは増え続けると思う。
(了)
 
<中国人市場>


<レストラン(屋台)メニユーの1つ>


<トライショーで市内見学>

<町の様子>


クアラルンプールで考えたこと (これで良いのか日本)

 クアラルンプールの街中を歩き、コーヒーショップ等に座り、人の流れを見て色々と考えた。

〇 かっては日本人といえば経済大国として世界中の人々から羨望のまなざしで見られたものである。日本のパスポートはプラチナペーパーであった。

〇 ところが、今回クアラルンプールでは「あなたか中国人か」「韓国人か」で日本人かが最後である。寂しい思いをした。しかし、中国人とみられて有難い気もした。

 それに今は誰もがカメラを持ち、顔形、服装、ファッション等違いを見つけるこ
 とは困難である。違いは顕著に出るのは金の使い方である。
  
  中国人は使い方が荒いそうである。韓国人もそうであったが最近は金使い
 が慎重になっていて日本人も韓国と同じく金使いは慎重だそうである。

〇 どうしても人間は経済力、国力の強い国を評価する傾向にある。寄らば
  大樹の陰だろうか。

〇 日本人はやはり世界の経済で一等国を目指し日夜努力をすべきであろ
  うか。しかしもう目一杯なのだろうか。あるのは、日本には豊かさに中で磨
  いてきた日本人としてのモラル、品格が備わってきているのではないか。
  それを大事にすることも大切だろう。

〇 10年もすれば中国、韓国、日本は国民所得は同じようになるのでは
  ないか。(勿論中国全体が揚がるのは困難だろうが)そして周辺のアジア
  も今の2倍3倍の経済力をつけるのではないか。

  そうなれば益々日本の存在感はなくなり、ごく普通の国になる。もうすでに
  そうなっている。
   しかし、普通の国になるのは結構難しい。努力が必要である。
  やはり日本はここでハングリーさを発揮すべきであろうか。目指すは技術
  立国だと思う。

〇 これからは子供に対し、どんな教育が必要だろうか。
  それは日本人が世界で、アジアでリーダーシップを発揮出来たら良いな
  と思う。

 ・ 小さいころから英語力をつける。異文化に触れさせる。

 ・ 小さいころから自主性を尊重し好きなこと、特技を身につける。

 ・ スポーツでチームプレイを鍛える
    
    公正な心、人間理解、人に好感をもたれる。

 ・ 本好きにする。

 ・ 奉仕の精神を身につける。

かってに好きなことを書きました。ご意見を頂ければ大変有難く存じます

(了)




マレーシアよもやま話 (中国系人物が語る)

中国系の人が色々と自由に語ってくれた。誠実な人柄で私はこれは真実だと思ったので是非紹介したいと思って記事にすることにした。

 1 安定した政治と経済
  〇 政治は安定している。テロも爆弾も無い。周辺の国と違う。腐敗はそこそ
   こあるが大した問題ではない。また地理的に台風、地震もない。

  〇  多民族国家のマレーシアはマレー、中国、インド系が中心となって経
    済を引っ張っている。中国系はビジネスで国を動かし、インド系は小さい
    ビジネスや労働者として働いている・

  〇  この国はとりわけ中国との結びつきが強い。国との関係でいえば1に
    中国、次に日本、韓国という感じで、ナジブ首相は日本も大事だが、特に
    中国との関係に力を入れている。

  〇 中国からは旅行者が多いが最近は英語を学ぶために中国から2〜3年
   と留学にやってくる。英語のレベルが高いことと費用が安い(1年で60万
   円位)ためにくるわけだ。シンガポールも人気があるが費用が結構高い。

  〇 アメリカは嫌いである。

2 マレーシアの産業
  〇 これまで主流であったゴムが衰退し、15年くらい前から「パームオイル」
   生産に力を入れている。この食用オイルは低コレステロールなので人気が
   あってインド、中国、ヨーロッパ等に輸出している。
    外貨の稼ぎ頭になっている。
    
    どこに行ってもパームツリーを植えている状態で特に北部は雨が多いの
    で育ちやすい。最近は近隣の国も植え始めたと聞いている。

3 日本、中国、韓国の技術導入
  〇 8年前にツインタワーを建設した。1つは日本の技術、もう1つは韓国の
   技術で建てた。どちらも問題は起こってなく、技術に差は見られない。今
   は中国の技術も素晴らしく同じようになっている。

  〇 日本製はやや高いのが問題。
    日本のホンダはマレーシアでは80,000R(リンギット)、同じタイプの
   マレーシアの国産車プラトンは35,000Rと半分以下、しかもプラトンには
   日本の三菱のエンジンを使っており、自分の車もプラトンで8年たっている
   が何の問題も無く動いている。
    どうしても安いのは魅力的である。
          * 1Rは27円位

4 外国からの旅行者、労働者
  〇 同じイスラムの国からの旅行者
      サウジアラビアをはじめアラブの国々等からヴァケーションでやって
     くる。この国は暖かく物価が安いこと。
     自国では宗教の縛りがきついがここは緩やかでリラックスできるので
     人気がある。
      ここでは飲めなかった酒も飲めるし女性もいる。自国では全く出来
     ないことである。

  〇 外国からの労働者
      インドネシア、フイリッピン、タイ、バーマ、インド、パキスタン等から
     出稼ぎに来ている。多くは建設労働者や使用人として働いている。
      それぞれ1,000R位稼いでいる。
     本国で働けば半分から3分の1以下であろう。ここでは良い給料だ。

5 太平洋戦争に関して
  〇 太平洋戦争時日本の軍人が中国人を多く殺したことは知っている。
    中にはそれを言う者もいるだろうがもう忘れている。
    自分は知知に行ったことは無いし行く気も無い。親族が墓に行くくら  
    いであろうか。
    しかし、もう誰もそれはいわない。
    戦争の出来事である。云っても仕方ないことである。

6 ロングステイに関して
    クアラルンプールのある一角には外国人が沢山いて日本のロングス
   テイヤーもいる。快適だと思う。
   素晴らしいコンドミニアムが本当に安いし、ゴルフも楽しめる。

(了)
  
  

マレーシア・セレンバンの墓地訪問(そこには・・・)

 町で拾ったタクシー運転手(中国系)が日本(軍)人の戦没者慰霊碑があるという。場所はクアラルンプールから南に80キロのセレンバンにあるという。この際、是非訪ねようと思った。

 朝8時ホテルを出発、のどかな風景をみながら目的地に向かう。高いヤシの木に金色の実がなっている。何でも訓練された猿が登り取ってくるという。
 それにしてもこちらの人は動物をうまく使うものだと思う。

 行けども行けども農村地帯が続き、うっそうとしたジャングルが見える。かっては日本兵士はこういうところを移動し戦っていたのであろうかと思うと何とも辛い気持になる。

 道が分かりにくく色々と聞きながら車は進む。途中中国人村を過ぎるともう近くのようだ。それでも行ったり帰ったりして、その辺の中国人に聞きながら進むと前に大きく広がる墓にたどりついた。

 運転手が指差して大きな声で「ここだ」という。
 なんと広大なところだろう。しかし殆ど人が訪れていないようである。その中に大きな慰霊碑が立っていた。見るとそれは日本人でなく中国人のものであった。(同行運転手と共に思わず合掌した)

 慰霊碑には次の通り記されていた。
    
    1942年3月18日 日本治時期
    華人同胞男女老幼 計1,474名
       1979年8月30日 知知全体華人建立

     * 聞くとこの周辺には現在約5,000人の中国人が
            住んでいるとの話であった。

 この周辺には数千以上の墓があり、日本人の墓を探すも見つけるに至らなかった。ここにはないものと判断された。

案内した中国系タクシー運転手はいった。

〇 この墓は20年以上前に初めて公開されたものである。自分の兄が日本人の先生を案内した。
  その人は「百聞は一見に如かず、とにかく自分の目でみたかった」と語ったそうである。

〇 華人の墓は日本のマレーシア統冶時期に亡くなった人々のものである。
  (それ以上はこちらに気遣い語ろうとしなかった)

 何の知識も持ち合わせず訪問した私であるが日本統冶時代に亡くなった中国人の墓であるのは間違いなく、簡単な記述ながら忘れまいとする意志がはっきりと読み取れた。
 この国にはこの類の墓が全国にあり、この墓はその中の1つであろうかと思った。
  * 後で聞くと日本人の墓もあちこちにあるという。 

<途中のジャングル〜この中を日本兵は戦い移動していたのか>



     TITIの墓
                    
 
 1942年3月 日治時期の記述あり〜 慰霊碑の下の部分を拡大

 

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