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  • 2017.04.22 Saturday
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変わる人生観(?)カルカッタ、聖地ベナレスを訪問(インド最終)

 ある日本人がカルカッタを訪れ「人生観が変わる場所があると聞くがそこに行きたい」と話したという。カルカッタやベナレスを訪れると日本の常識では考えられない事が起こっているということであろうか。

 私はカルカッタには数回訪問したが、街中はほこりっぽくて、道路上に動物や鳥の死骸をよく見かけた。なんでこんなに不衛生なのか、もっと綺麗に出来ないものかと思ったものである。

 しかし、この街を端から端まで歩くと人間の一生のシ−ン「生・老・病・死」がいたる所に見られるという。

 また、私は家族でヒンズー教の聖地ベナレスに旅行したが、飾らぬ人間の生きざまを垣間見て日本人と随分違うなと思ったし、日本人が普通なのか、ここにいるインド人が普通なのか分からなくなるような気がした。

 これを人生観が変わると言う事なのだろうかと思った。
 この街は全体に暑いが暗い感じがする。街中をリキシャーで搬送される死体(全身を白い布で巻いている)があちこちに見られガンジス川沿いの火葬場に運ばれていくのがみれる。
 街中に香が炊かれ供花が売られている。
 (果たして、この街で食べる食事はどんな味だろうかと思った位である)

 死体は川沿いの岸辺で作業員風の男達によって次々と薪で燃やされ、灰になった死体は直ぐにそのままガンジスに流されていく。その近くには掌を組んで座っている老人の姿がみえる。

 また、薪で燃え灰となって流される死体、また薪を買う金がない者は死体を白い布にくるんで川に流していた。

 私たちは日の出を見るためにボートでガンジス河を昇っていく。途中、死臭を放つ布に巻かれた死体が浮かんで流れているのを現認した。

 案内人によると「流された死体は数分でガンジス川の水で浄化される」と語り、ガンジス川の雄大さを説明した。意外と思うのは流される灰の直ぐ近くで人々は頭から水に浸かり沐浴を楽しんでいる。
 
 また、ガンジス川の両岸にはアパートがあってそこには死を待つ人達が集まってきているという。
 聖地にやってきて死を迎えるのである。

 この聖地ベナレスにいると私には人間の生死は本当に儚いものだと感じる。、また人間の尊厳、存在そのものが如何に小さいものであるかを実感することになった。 
 そして儚い人生であればある程、ささやかであっても人間としてより豊かに生きていくことが必要ではないかと思う。

 日本人にとって、このインドのような生死観を持つ国があるという事は知っておいても良いと思う。

 (了)

ニューデリーの日々 避暑でカシミール旅行

 4月から10月位まで続く酷暑の乾季を乗り切るためにデリーに住む多くの人が避暑に出かける。
私たちも家族で毎年8月に休暇を利用しカシミールを訪問した。ここに来ると本当にリフレッシュできた。
 カシミールは山には残雪があり、下に降りてくると川の水は冷たく、空気はややひんやりと過しやすい。

 ここではリンゴが美味しかった。硬くて水分が多く、昔日本で食べたリンゴと一緒で甘かった。サクランボも少しスッパかったけど実は大きくて食べ応えがあり美味であった。

宿舎は湖に浮かぶ船の形をしたロマンチックなホテルでした。

それはそれはのどかなもので船から釣り糸を垂れると魚が面白いように釣れた。食事の時にから揚げにして食べる事が出来た。

 早朝にはオカリナの調べがどこからともなく聞こえてきて夢うつつに幻想的に聞いたものである。
 「ダル」という湖があってボートに乗って家族で周遊した。湖に沢山蘇生する草木が旅の心を癒してくれる。
 ここしかない大自然が本当に素晴らしいと感じたし良い思い出となった。

 * 話はそれるがここの宿泊に関して後で精算したが宿泊料金
   10,000円と言う事でこちらは家族全員で1万円と認識して
   いたが、カシミールの業者は1人当たり1万円として請求して
   きた。
    結局はデリーの業者に強く説明して家族で1万円で決着
   した。こういう事も結構あると思う。納得いかなければ主張す
   ることが大事である。

 また別のきれいなロッジに宿泊した。
 ロッジには土産物を売りに来たり、クリーニング屋の訪問者もあった。

 ところが、洗濯屋の男が洗濯ものを抱えて、こちらに近づき、小声で「ハッシッシー50ルピー」ささやいてくる者もあった。ここでは開放的になり購入し、使用する者もいるのであろうか。

 いずれにせよ楽しい旅にも色々と落とし穴や危険はどこにも潜んでいる。
 

(了)
 

ニューデリーの日々Α.沺璽吋奪箸農諺食品の買物

  デリーでの生活で生鮮食料品の買物によく行った。品物は新鮮で豊富だし値段も日本に比べると3分の1位と安い。市場の雰囲気は活気があって楽しい。息抜きにもなった。

 デリーの中心の原っぱみたいなところにINA(アイ・エヌ・エー)マーケットがる。ここが一番大きなマーケットで縦横150メートルもあろうかという位である。
肉、魚、野菜、菓子・スナック類、衣類、香辛料等を食品は何でも揃っていた。日本食こそなかったが週1回は訪問し、食材を買い込んだ。

 このマーケットに車で着くと、出入口周辺に待機している10歳から16歳位までの男の子、通称「クーリー」が大きなカゴを持って走って寄ってくる。「買物したものは自分がこのカゴで運びます」と言う訳である。

  気にいったクーリーを指名すると、その少年はいかにもうれしそうな顔をして直ぐについてくる。この時点で他の者はスッと引き下がる。子供の時から生きていく術を学んである。懸命である。

 クーリーはカゴを持って買物が終わるまでずっと付いてくる。買った食品はその都度カゴの中にいれるので時間の経過と共にカゴはだんだん重くなる。

   果物を入れたら直ぐに重くなる。普通3〜40分かける。重たい荷物を頭に乗せて運ぶのであるが最後に車まで運んだところで任務完了。

 チップを渡すとにこっと笑顔を見せる。彼らも仕事、早速次の客に走る。日本の戦後もこんなんだったのかなと。また学校に行っているのかなと思う。

 魚は豊富であったが内陸なので生では食べられない。大型のエビ、タイ、サワラ(蒲鉾を良く作った)等を良く買った。

   肉はマトン、ヤギ、チキン等であった。マトンは体を真中から半分にしてぶら下げて売っている。沢山のハエがたかろうとするのを団扇で払いのけながら客を待っている。
 不衛生に感じるが誰も気にした様子はない。料理してしまえば殺菌できるし関係ないということであろうか。

   それに買った肉はそのまま新聞紙に丸めて渡してくれる。日本もかってはこうだったのかなと思う。豊かになって清潔さ、見栄え、便利さを求め過ぎではないかと感じる。

 チキンはニワトリ籠に入った生きているニワトリを売っている。見ているとどれにするかと言ってくる。生きた鶏を指定して、5〜6分後に再訪問すると丸ごとビニールに包装されて出来上がっている。新鮮過ぎてまだ胸の辺は生温かくぴくぴくしている。(いやいや凄い。これ以上新鮮なものは無い)

 野菜は何でもあったし、新鮮で安かった。その中で、もやしと白菜があったが野菜売り場の店主曰く
このもやしと白菜は日本の協力隊員が農業指導に来てこの国で作るようになった、との話であった。  
 こういう形で出てくると海外協力隊の努力が実を結んでいると思う。

 大豆も売られていて、日本から納豆菌を持参すればインドでも納豆が食べられます。林さんの納豆は日本人の方々に人気でした。

 スパイスは100種類以上と豊富であった。暑いこの国では生ものは直ぐに腐るので香辛料は欠かすことは出来ない。料理人のラオはインドのカレーを作る時は40数種類の香辛料を使うといっていた。

 この国では宗教の関係で牛の肉は公然とは売られていない。しかし、特定のホテルやイスラム教徒の多い地区に行けば手に入るので焼き肉も楽しむ事が出来た。豚も同様に手に入った。

 最後に家内が言っています。
 INAマーケットで帰国を控え、エビを買おうとしたが手持ちの金がなかった。店主が「ノープロブレム、次で良いよ」を繰り返したのでついつい購入した。ところが今なお100ルピーの未払いが残っている。今でも思いだしては申し訳ないと思っているがインド人の心の広さ、優しさを感じている。

(了)

 

 

ニューデリーの日々 ァ^汰粥治安について 

 外国で生活する上で最も優先すべきは生活の基盤となる安全確保の問題です。
滞在中は泥棒等の被害は全くなく3年間を快適に過ごすことができました。しかし、日本人の中には侵入盗被害に遭ったということはたまに聞きました。

 中には、10日間の海外旅行をして帰ってきたらクーラー等家具一式がが無くなっていたという話を聞きました。時間をかけて引越しみたいに大胆にやったのでしょう。使用人との仲がうまくいってなかったという事から、使用人が泥棒の手引したのではないかとの話でもちきりでした。

 * 使用人の雇用に関しては、採用時に必ず、出身住所、氏名、生年
  月日(本人直筆)、それに本人の顔写真を保管する等が必要です。

     他には、部屋の鍵の保管をきちっとする。家の入口の所に無造作
      に鍵を置かない事です。

      我家では安全対策としては次の事に配意しました。

〇 隣近所と声をかけ仲良くする。(日本も外国も同じです。何かあれ
   ばお互いに助け合わなければばりません)

〇 犬を飼う。元気の良いよく吠える犬を飼っていました。一匹でした
  ので表の方だけ警戒出来ていました。裏側は心配でしたので時々
  裏側につないだりして警戒しました。

〇 家の前で路上で家族で営業していた洗濯屋(アイロンかけ)と仲良
   くいていました。昼間だけでしたがこれが最強の警戒になりました。
   
  〜 お世話になると思い初めて西瓜を差し入れた時はびっくりして
   喜び、その場で冷たいスイカを割って家族(5人)皆で本当に美
         味しそうに食べていたのが印象的でした。
  
  〜 その後は、車で家に帰ってくると母親の顎を突き出す合図によ
   って7歳位の息子がゲートに走って玄関のドアを開いてくれる。
   
     これが家の警戒に非常に役立った。また、どんな訪問者があっ
   たかも教えてくれた。そんなことがあって時々差し入れをしたも
   のである。どんな人でも優しくすると協力し、助けてくれる。
         これは安全上非常に良かったと思う。

〇 インドでは宗教対立による紛争の発生がたまにある。その場合でも
 外国人の被害は無かった。規制された区域に入らなければ問題なか
 った。巻き込まれるのはそれを無視した観光客の行動である。
  普通にしておれば問題は無かった。

* 特異なこととして
  滞在中、インデラ・ガンジー首相が警護に当たるシーク教徒の警
 察官に殺された。この時はシークとヒンズー教徒の宗教対立となり
 治安の混乱を招いた。外国人の被害は殆ど聞かなかった。
  しかしながら時として宗教対立の問題はある。

 外国人にとってインドはおしなべて安全である。
 しかし、泥棒がいない訳ではない。それは各自が使用人の問題を含め、日頃から必要な安全対策を講じることである。

(了)

 

ニューデリーの日々 ぁ_適な生活は使用人から。

 3年間のインド生活で使用人の存在は極めて大きかった。
使用人は同居の家族であり、良い使用人に巡り合えれば快適だと思う。一方、逆の場合は色々と苦労し、日々の生活は辛いものになる。

 我が家にも料理人、運転手、子守と3人を雇用していた。いづれも人柄も良く、期待に応えてくれて楽しい思い出を沢山作ってくれた。

 しかしながら、立派な使用人も人間です。甘やかし、放置するとすとズルズルと堕落もします。これは誰でも同じ事でいつもとおまきに見ていて気になれば一言の指導が必要です。

 日本人の多くは使用人を使うという経験がなく、使用人を友達感覚で扱う人が多いようですが、カースト制度のあるインドではそのような態度では使用人にとって居心地が悪い上、かえって問題を起すことにもなりかねません。

 使用人を甘やかす日本人を見てインド人が直接その使用人に注意するという事もあるようです。

〇 料理人の「R」君
  インド南部出身で45歳でした。がっちりした体格で反応も速く
 職人タイプ。単身赴任で田舎に奥さんと子供2人が住んでいると
 いう事でした。
  
  料理の腕前は最高でした。色んな日本料理が作れ大変重宝しま
  した。料理の材料さえあれば大体の日本料理は作れます。
  これまで日本人の家に働いていて仕事も早かった。

   しかし、良い料理人と言う事でみんなが褒めるものだからつい
  つい天狗になっていったような気がします。
  自分はどこでも雇ってくれると。

   何となく態度が大きくなってきた頃、田舎の兄弟が亡くなったの
  で「10日間程帰ってきたい」と言ってきた。

   私はRはもう帰ってこないかも知れないと思いながら、翌月
  の給料の半額、見舞金、往復の交通費等も入れて十分な金を
  渡した。
   そして1つだけ条件を付け加えた。

     15日以内に帰ってくる事。
     その日に遅れた場合は、もう帰ってこなくて良い。家に料理
     人がいないと不便なのでその時は他の人を雇うよ。
  
  とLの顔を見ながら言い渡した。
   Rは「直ぐ帰ってきます。1週間以内にも必ず帰ります。心配し
  ないで下さい、と重ねて約束した。

  ところが1週間が過ぎ、10日が過ぎ、約束の15日目になっても
  帰ってこない。夜中も12時近くになって、やはり帰ってこない、
  と思い始めた午後11時55分誰かがドアを激しく叩く音がする。

  * 昔話の「大江山酒天童子の話」を思い出した。
   
    なんと髭茫々のRが帰ってきたのである。
   土産のバナナを一房抱えて。これにはびっくりしました。
   まさにインド版「走れメロス」で感動しました。
   
我家の仕事を辞めたくない一念だったのでしょう。

   Lはいつも我家の犬を散歩に連れて行ってくれました。
   良く吠えるので、通りがかりのインド人が「この犬のカースト
   は何か?
」と聞いてくる者があったという。この国では犬に
   もカーストがあるという事を知りました。

〇 子守の「L」
   背が高くやや美人で40歳位、きれい好きでいつも洗濯した
  サリーを着ていました。なかなかしっかりしていて信頼できた。
  子供達からも好かれていて本当に有難い存在であった。

   しかし、時々物が無くなる。しかも新品が。そんな時は
  「Lさん、子供の靴を知らないか?ここに置いていたはず
  であるが、運動会に履いていく靴だ」と聞くと、マズかったと
  思うのかどこからか発見して持ってくる。

   使用人達はこのように指摘するとちゃんとし、しっかりやって
  くれる。
  そのコツは若干多めに手当てをあげ、処遇をきちっとして
  あげること
問題は起こらない。

  * 使用人の中には家から食物・砂糖等を持ち出すという話は
    良く聞く。しかし、寝室から時計、宝石まで無くなるという話
    も聞いたものである。
    
    いずれにせよ良い使用人を雇い上手に使う事が楽しいインド
    生活の基盤である。

〇 運転手「J」君
    きれい好きでいつも小ざっぱりとした服装であった。
   真面目、正直で本当に信頼、信用できた。

〇 他に週2日土間を掃く「スウィーパー」と庭の手入れをする
 「マリ」がいたがそれぞれ給料は2〜3000円だったが彼らは
 何箇所か掛け持ちで働いていた。

  こちらに滞在するといつの間にか雇わなければならなく
 なってくる。我家においてはみんな真面目で感謝している。

(了)
   
    


ニューデリーの日々  日本人を知り尽くしているインド商人

 インドは買い物天国の国である。
とにかく日本人が欲しくなるような宝石や革製品、ジュータン等品物は豊富でしかも値段も格安なことから多くの人が買物を楽しんでいる。特に帰国が近づいてくると日本への土産として買物に奔走する。
 しかし、インドに限らず、買物は欲しいと思ったら相手のペースになって完全にこちらの負けである。
そのため、例え欲しくてもそれを顔にも出さないで値段交渉に当たる事が大事である。

例えば町の絨毯屋に買物に行けば次のようなやり取りになるので心して当たる事が必要である。


 < 以下 ◎インドの店主、▼こちら側 >

 ◎  どこから来られましたか。日本から来られましたか?
   
  ▼ 日本です。(服装等から見透かされている)

 ◎ 暑いですね。ソフトドリンク飲んで下さい。何にしますか?

  ▼ (飲むと買わなければならなくなるので一応強く断る)
    いやー結構です。いや本当に。
   
 ◎ (首を大きく振りながら)ノー、プロブレム。コーラを飲んだか
   らと言って別に買えとは言いませんから。安心して下さい。
    絨毯ですか?
    どうぞゆっくり見て行って下さい。
   まあ、その前にどうぞ、ゆっくりコーラを、ささ。おーい
   コーラはまだか?と張り切っている。

 ▼ (コーラを飲んでしまうとちょっとプレッシャーになるから
   困ったものである・・・・・ 相手のペースになっている)

 ◎ (山ほどある絨毯を一枚一枚はぐって気にいったものを売ろうと
   時間をかけて見せてくれる)
    これは色も良いですよ。こっちはどうですか?それじゃー
    (と延々と続く事になる)

  * こうなると完全に相手のペースで買ってしまう事になる。 
  しかし、 
 
 ▼ (益々何か買わないといけないような気になってくる。それでも
   何とか断ろうとする)
  ウーン、どうもねー。衣類で良いものは無いですか?

 ◎ (ちょっと落胆した感じで)ええありますよ。こっち
    に・・・・・・。

 ▼ (この時は買う気はない。それで何か安いものでも買わ
   なければという気になりハンカチを買つて退出)
  

2 効果的な店への対応策は 
 〇 つまり、日本人の性格、考え方を知り尽くしていて、断れない
  ようにどんどん攻めてくるのである。
   
   この辺はインド商売は見事に日本人の心理をついてくる。
   相手のペースにはまったらダメ。

 〇 そのため、店に入っても日本人であることを言わない事が
  効果的。
   そして、他の国名を言うと、店の者はスッと身をひるがえし
  て引き下がっていく。興味を示さない。
   
    後はかってに案内なしに自分で見て回る。好きなものが
    あれば買うが安値である。

 〇 宝石等の高価なものについてはその店をよく知っている人に
  案内してもらっていくのが安全。
   或いは買う前に、その近くで同種の商品を扱っている店に
   行き予め売値を確認しておく。
 
等が必要であった。
 色んな国に行ったがインド商人の日本人研究は最も優れて
いると思う。日本人は日本でいくらするかと言う事を考えるので
向こうのペースで買ってしまう。
インドで商売・ビジネスをするのは甘くないですよ。

(了)
  

ニューデリーの日々◆^み水について考える。

 最近のツイッターで楽天三木谷社長は日本の資源について、「水」をあげていたがその通りだと思った。また、聞くところによると、現在中国が日本の水資源となる山々を買いあさっているという話も他から聞いた。
 
 豊かな山々、自然に恵まれた日本はきれいで美味しい水を育んでいる。今やそれが日本の財産として見直され、諸外国にも輸出されている。日本では長く水と安全はタダと言われてきたが今や水は資源の一端を担っていると言えようか。

 世界で水道水が飲める国は日本位であとは数えるほどしかないようである。

 ところでインドに赴任して水で色々と苦労した。結局はインドの生の水道水は飲まずに、必ず煮沸して殺菌し、冷ましてから飲用及び料理に使用した。そうでない時はミネラルウオーター等を買いこんで使用したものである。
  
  * 水については、昨年10月にチェンマイ、11月にマレーシア
   にそれぞれ滞在したが、ホテルには無料でミネラルウオーター
   350cc2本が備え付けられていた。今やホテルでは備付け
   は常識になっているようである。

  * 水道水は煮沸した後も更に2〜30分間煮沸することによって
   完全に殺菌できるという。
    暑い国で沸かした水を冷蔵庫で冷やし飲用する訳である。
    そのため冷ますのに時間がかかり水は本当に貴重であった。
   水が無ければデリーでは直ぐに干上がってしまう。

  * 料理や煮炊きものは煮沸したものを使った。中には皿を洗うに
   しても煮沸した水を使うという人もいたくらいである。

 インドには最初単身で赴任したが、家が見つかるまでホテル生活であったが、とにかく連日下痢で苦しんだ。私も水の怖さについては分かっているつもりであったが綺麗なホテルのレストランで出される水への油断と体力的な自信があって水道水を飲んでしまった。(注意して下さい)

 初めての夕食は中華レストランで出される水を飲んで早速翌朝は下痢(こんなはずはないと)、翌日も同じ中華料理店で水を飲みまた下痢(こんなはずはない)、そして3日連続で生水を飲んで3日連続で下痢をした。

  * こういう時は日本から持ってきた正露丸等で治りました。
    しかし下痢をすると体調は悪く、続くと体力が衰えます。

 これで体力の限界を感じ、ホテルの水(生水)に完敗です。それ以降はホテルで出される水を含め生水は一切飲まないことにした。アフリカ2年の滞在経験があって自信があったが完全にまいりました。

 こちらの水道水が雑菌が入っていて飲めない。また水道管も古く、腐食等もあって雨水が入ってくるとも言われている。そのため水を飲むと下痢につながるのである。

 ところが多くのインドの人達は水道水に慣れていていつも飲んでおり全く問題ないようである。体が完全に対応できているのである。
 
 私は帰国前にゴルフ場であまりにも喉が渇いて初めて水道水を飲みました。この時は下痢はしませんでした。3年の滞在で体が水に慣れてきていたのでしょう。それに暑いので直ぐに蒸発したのでしょうか。

 人間は豊かになると安全と健康な毎日を求めます。今後、水は益々貴重になってくると思います。

 デリーでの生活(旅行)は厳しい暑さとの戦いです。体力の消耗も著しいので健康を害することなく万全の注意が必要です。

(了)


 

ニューデリーの日々 仝靴靴ぜ然環境

 昭和58年から3年間、家族共々インド・ニューデリーに滞在した。

 3年間の滞在中は幸いにも特別問題になる事は無かったが一番印象深いのは50度を超えるその暑さであった。暑い時で54〜55度になった。

 ここでは暑さとの戦いであり元気に生きていくことが何よりも優先される事であった。

 55度がどれくらい暑いのか。
〇 例えば、昼前後は風が吹けば火の粉みたいに顔の頬に当たる。
  (火傷しそうだった)外の太陽の下では帽子を被らずにいると頭に
  虫眼鏡を当てられているような感じで昼間は帽子なしで外を歩け
  ない。
  
   不慣れな者にとってはとにかく陰に入るか室内にいるかである。
  陰に入れば10度下がって44〜45度になる。乾季になれば当然
  部屋のクーラーは24時間つけっぱなしとなる。

   乾燥しているため、常に水分補給が必要である。インド人の事
  務所を訪問するとグラスに水を入れて何時でも飲めるように置い
  ている。ごみが入らないように紙で蓋をしている。
   訪問者がくれば「水を飲むか?」と挨拶で聞いてくる。

  * びっくりするのはインドの労働者である。灼熱の太陽の中で頭
   に帽子も被らずに芝生の上に寝っ転がっている。生きているの
   かなと思う位である。馴れなのであろう。

〇 それに停電がある。特に夜間良くあった。停電になると2〜3時間
  続く。顔が火照ってくる。暑さに耐えられないためシーツに水をま
  いたりして寝た。(しかし直ぐに乾いてくる)、涼を求めて車で走
  行したり、ホテルロビーで休んだ。(ホテルだと自家発電がある)

   カルカッタに良く出張したが、ここも停電が多かった。しかも毎
  日のように決まって夕食時間に停電になる。お客を呼んでさあ
  食事という時に停電となるとお先真っ暗である。カルカッタは特
  に不自由していた。少しくらい改善されたのであろうかと思う。

〇 暑さ対策
 ・ うだるような暑さが4月から8月くらいまで続くと体がだるくな
  ってくる。(但し、12〜2月は冬で長袖が必要となる)
   そのため多くの人が3〜4日間、家族で涼を求めて北のカシ
  ミール等へ旅行に行く。国境近くには雪も残っていて帰ってくると
  不思議と体がシャキッとし、元気がでるから不思議なものである。

 ・ また、暑い暑いといっても朝方、午前中はこの時期でも爽やか
  であり、外で作業をやっても特に暑さは感じない。
   外で仕事をするなら午前中である。
 
 
〇 暑さをふっ飛ばした日本人会行事
    当時はデリーには日本人は家族含め450人位いた。この数
   は一番纏まり易い数で各行事には殆ど全員が参加していた。

    そういう面でもデリー在住の日本人は皆お互い知合いで仲が
   良かった。
      
    * 500人を超える規模になると外国のどこの都市でも纏ま
     らずバラバラで結束は難しいという。
    
    月例ゴルフコンペ、年末の忘年会(演芸会)、カラオケ大会、
   日本の有名芸能人による演芸会等みんなで楽しんだ。
    今はどうなっているだろうかと思う。
    
厳しい環境、日本食もままならない厳しい生活条件等の中で、この
国では日本人はお互い相談し合い、助け合うしか生きていくことは
難しかった。
それだけにその絆は何時までも忘れることなく続いている。

(了)

インド旅行〜旅の危うさについて考える。

最近、また20年後のインドを見て見たいと思うわけです。
インドは好きな人は何回も行きたくなる(嫌いな人は2度と行きたくなくなる)とよく言われます。
なぜそうなのかは分かりませんがそこにインドの魅力があるのでしょう。

1つはインドは広大であらゆるものが混在しています。そしてインドは思い切りインドで他の国を気にしません。宗教、カ−スト制度と飾らぬ生々しいインドの現実・生活があります。

そして何もかも呑み込んでしまう国です。人間の存在が小さいような気がします。
こういう日本にないインドを見て見たいという人が多いのではないかと思います。
このように多様な国民を管理できる大きいのはヒンズーの神でしょうか。

インドに行けばヒンズーの神々に会えるかもしれませんね。
しかし危険もあります。

〇 あるところに行けば麻薬(ハッシッシー)を売りに来ます。日本人
  は良く誘いを受けます。
  ついつい手を出してしまうと捕まる。また、常習者となって旅行中
  に命を失うという話を聞きました。
 〜 ここは日本ではないという開放感が落とし穴になったりします。

〇 金品を盗まれる。
  どこに行っても旅の危険はあります。しかし、あるグループに狙
 われたらもうおしまいです。
  旅行中、誰も知らないはずのあなたの名前を呼ばれて「あなた
 を探していた」と言われたらどうしますか?
  
   私は避けることはできないような気がします。
  これには直感で危険を察知するしかないと思います。危険と思
 ったら応じない事です。
   ところがインドの人は非常に親日的なので良い人か、悪い人
 かの見分けが困難なのです。
  
  鉄道で旅行中席を譲ってくれたひとが干しブドウを勧めてきたら
  どうしますか。(自分も周りの者も同じように食べているとしたら)と
 ころがこれに眠り薬が入っていたりする。
  (相当馴れていないと1人旅行は危険です)

〇 聞いた話ですが1週間の休みを取ってインドに来た若い日本の
  会社員がいました。
  ところがインド到着と同時にパスポートを含め現金等全て盗難
  に合ったそうです。
   その人はパスポートの再発給受ける事と家族から送金しても
    らうために1週間かかったそうです。
  
   木賃宿(500円位)で1週間過ごしたそうです。
   しかし、その方曰く「被害に遭ったけどこの町での1週間の貧
   困生活は大変勉強になった」とのことでした。
   
     多分、この方は本当のインドの下町・スラム街生活を経験で
    きたのが良かったと言いたかったのでしょうか。
      この国の貧富の差は想像を絶するものがあります。
  
   旅行コースに乗ってアグラやジャィプール等の観光名所を回
   るよりもこういう旅が本当にインドを知る上で貴重な経験に
  なったということではないでしょうか。

インドに行きたくなりました。

(了)


デリーゴルフクラブ、デリーの日々は今、懐かしく。

 デリーゴルフクラブの事をブログに書いてから早速、滞在当時の隣人「林」夫人より、DVDを送ってもらった。
 内容はデリーゴルフクラブの1〜18ホールまでのプレイをしている様子が記録されていて懐かしく見させてもらった。いつもプレイした仲間3人の記録であった。
 これを見て悪い癖が良く分るし、今は治ったのかなと他人のことながらも気になる・・・)

 いつも無理を聞いてくれたちょっと腹の出た、髭を生やしたスター
 ターが懐かしかった。今は家にいるのかなと思う。
 
  それに懐かしいお馴染のキャデイも一生懸命に声を出してボール
 を追っかけていた。
 その姿が今になればもっとチップをあげたい気持になるから不思議
 なものである。

〇 インドは日本人には優しかったなと、みんな良かったなと思う。
 某新聞社の奥さんが声を出してコースの説明、スコアの説明をして
 いたのが懐かし嬉しい。

〇 もう一枚のDVDはデリーの街の様子である。
  皆で帰国前に記録しておこうと「リキシャー」に乗ってオールドデ
 リー周辺をまわったのが記録されている。かっての首都であった
 オールドデリーは本当に建物等古くて、何処かのアラブの古い街を
 想像した。
  
〇 20数年たってこの町も随分と変わって綺麗になった事だろうと
 思う。きっと綺麗になっているはずだと思う。
  しかしここで住んでみると面白いかもとも思う。但し、単身でと。

 今、この国に日本人が殺到してビジネスをしている。
 20数年前に駐在していた人が再度インドに赴任しているという。
 今こそインドなのである。

 林さん有難うございました。

 (了)

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